2009-11-11 宇宙飛行士候補で東大男性助教の「不正の疑い」報道とネット

なぜか「あと味の悪さ」がつきまとう「不正の疑い」報道

 基本的には「一部を除きネットの情報に嘘はない」という立場である。なにも剣呑なことではない。空想を楽しむ掲示板でもない限り、書く側が「主観的に事実と思う」情報を発信しているだけで、「客観的な事実とは別」と思っているだけである。

 それには「例外」もある──と考えさせられたのは、ネットで注目されていた件を報じた「東大の30代男性助教、業績論文の存在確認できず 不正の疑い(NIKKEI NET 11月9日)」というニュースである。加えて、日経新聞の夕刊では「『トルコ人初の宇宙飛行士候補』と名乗り(日経新聞夕刊 11月9日)」としたうえで、「NASA担当者は『そうした事実はない。警備当局で調査中』(同上)」と詳しい。

 お気づきの方も少なくないだろう。この「30代男性助教」は、9月頃からネットの話題を集めていた某氏と思われる(「疑い」ですので本文中は匿名にします)。報道で取りあげられていた履歴は、公式サイトやご本人のブログのそれと一致する(公式サイトの現在の履歴は一部削除されているとの情報もあります)。また、「自らの業績として発表している学術論文の中に、他の研究者の論文の著者名がこの助教の名前に換わっているものや、存在が確認できない論文が複数ある(NIKKEI NET 11月9日)」や「トルコ人初の宇宙飛行士候補」は、いくつかのブログやサイトで指摘されていた疑いでもある。

 もちろん、軽々に断定はしない。伝えられるところによれば、「文部科学省も不正の疑いを把握し、東大に通報(同上)」調査がはじまっているようなので、追々事実は明らかにされるだろう。

 しかし、もし報道が真実だったとしたら衝撃的である。学術研究者に知りあいがいないので想像するしかないが、業績とする論文の存在が確認できないのは、学術研究の信頼を揺るがしかねない事態だろう。研究費などが税金でまかなわれているとすれば、表現は悪いが、詐欺のようなものに近い印象さえ抱く(あくまでも事実としたらですので為念)。門外漢としては「なぜ見抜けなかったのか」と疑問もわいてくる。

それにも増して、その履歴がネット上で公開され、多くが疑いもしなかったことには驚きさえ感じてしまう。たしかに、研究室の公式サイトに、実名で公開されている履歴だから信じるのも理解できなくはない。そこにまで「客観的な事実とは別」を持ちこむのは難しいだろう。

 かといって「割り切れなさ」は残る。ブログなどで見かける「主観的に事実と思う」情報ならば、「そう思うのもアリかな」になれるが、この件に関してはなれない。「不正の疑い」が事実がどうかは別として、ネットの隙をつかれたような「あと味の悪さ」がつきまとう。
9月頃からはじまっていたネットでの静謐な追究

 ただし、救いがあるのは、新聞やニュースで取りあげられる以前から、「事実かどうかを丹念に検証」していた方々が、ネットに多く存在していたことである。ひと言で「検証」といってしまうが、海外のデータベースなどを探すのには、かなりの時間と労力が必要だったに違いない。

 さらに注目したいのは、それらの情報を客観的に公開した点である。けっして肩をもつわけではない。しかし、その記述は「これらの受賞に関する記録はweb上では確認できない」のように冷静な報告書である。そこには、声高な主張もなければ、攻撃的な言説もない。また、それらの情報をもとに、文科省への告発まで踏みきっている。

 明らかに、それらは「主観的に事実と思う」情報とは違う。ネットのなかで見られる論争は、ときとして感情的な非難の応酬になりがちだが、それらのサイトからは、まったく違う静謐な問題意識と探究心が見えてくる。

 あまりにも「美化しすぎ」という指摘は当たっているかもしれない。ただ、報道された問題が「あと味の悪さ」がつきまとったのに対し、ネット内での追究は「あと味の良さ」ば残っているのは確かである。

 実のところ、それらを見ていると「カッコウはコンピュータに卵を産む(クリフォード・ストール著 草思社)」を連想してしまう。もちろん、時代も違うしハッカーが相手ではない。しかし、どことなく共通しているのは「疑問は調べて結論を追究する」ところだろう。

想像でしかないが、サイトに関わった方々や掲示板で議論した方々の原動力が、「正義感だけ」だったとは思いにくい。もちろん、いろいろな立場からの思いはあったとしても、出発点は「疑問の探求」だったように思える。それが、多くの方々との情報交換によって客観的な結論へと到達したのだろう。

 いつのまにか、この「疑問は調べて結論を追究する」も、多くの方々との情報交換によって客観的な結論へと到達するのも、あまりネットでは見かけなくなってしまった。あらゆる情報が氾濫しているため、情報の受け手として取捨選択に汲々としているか、一方通行的に発信しているようにしか見えない事例が多いような気がする。

 なにも、それらすべてを批判するわけではない。ただ、相互に情報の精度や品質を高めていくネットの活用方法にも、もう少しスポットを当ててもいいだろう。少なくとも、多くの方々との情報交換が無意味ではないのは、この件が実証している。その意味では、ネットを考えるうえで、「事実かどうかを丹念に検証」していた方々の軌跡は意義深いといっても過言ではないだろう。

徹底した調査と結果の公開が期待に応える

 考えてみれば、「情報リテラシー」とか「メディアリテラシー」の原点は、「疑問は調べて結論を追究する」ところにあるような気がする。パソコンやソフトの操作方法を教えたり、「携帯禁止」を決める前に、これを子ども達に教えたほうが、後々活きてくるような気さえしてしまう。

 もっとも皮肉なことに、この件を管轄していたのは教育に関わる文科省である。あえてにいえば、「情報リテラシー」や「メディアリテラシー」を教育現場に持ちこむ本体そのものが、「情報リテラシー」に欠けていたと指摘されても反論はできないだろう。

 だからこそ、この問題を徹底的に究明すべきである。報道を読む限りでは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究発表のうち4本は「『存在が証明できない』などの理由で削除した(NIKKEI NET 11月9日)」のであり、そのうち1本は「米国土木学会に所属する論文の著者名が、助教の名前に換わっていた(同上)」のは事実らしい。

宇宙航空研究開発機構といえば、宇宙ステーション補給機(HTV)で知られる最先端の研究開発である。まさか、提出した論文が素通りはないとしても、やはり「どうして」という疑問はぬぐいきれない。それと同じように「東大も採用時の業績に捏造があったかどうかを含め、事実関係の調査(同上)」はもちろんのこと、ネットで指摘されている博士論文についても、徹底的に調査し結果を公開するべきだろう。

 学問とは無縁なWeb屋でさえ、学術研究に税金を投入するのは必要だと思う。もし「不正の疑い」が事実だったとしたら、金額はわからないにしても、結果的に税金の一部がつかわれていたのであって、わが国の学術研究への不信感にもつながりかねない。だからこそ、調査結果の公開は重要である。これまで多く見られたような「トカゲの尻尾切り」のような責任問題ではなく、「どうして?」の回答を簡潔明瞭に納税者の前に明らかにするべきだろう。

 もしかすると「なにもそこまで」という意見もあるかもしれない。しかし、今回の件は、他人のレポートを自分のものだと提出するようなものだろう(ちょっと違うかもしれません)。けっして難解な学術研究の問題ではなく、きわめてわかりやすい。「情報リテラシー」を持ちだす以前に「してはならない最低限のモラル」の類である。最低限のモラルが曖昧なまま高度な学術研究など成りたたないし、研究成果さえも怪しくなってしまう。

 最先端の学術研究や最高学府であるからこそ、モラルは求められるし、国民も期待する。今回の件は、この期待を裏切ることにもつながってしまう。文科省も東大も、今後の調査や結果の公表には、学術研究に期待する国民の厳しい視線があることを、忘れてはならない。

知っているようで知らなかったネットについて再認識を

 また、マスコミも考えるべきだろう。ただし、記事として掲載したりニュースとして放送するかという問題と勘違いしてほしくない。それは、あくまでも編集権や編成権であって、外部がトヤカクいうべきものではないだろう。たとえ、覚せい剤取締法違反で有罪判決を受けたタレントの更生や復帰の件に、時間や紙面を大きく割こうと、それは編集や編成の価値観であって自由である。

しかし、ネットがらみの報道というと「脅迫の書き込みがあった」とか「ブログが炎上した」など、どこか一面的で興味本位なのが多いように感じる。また、新聞もテレビも、ニュースソースをネットに求めながら、ネットについて歪んだ情報を伝える場合もある。おそらく、新聞記者もテレビ記者も、ネットをチェックしているだろうから、何人かは9月からの追究劇を知っているに違いない。

 それを記事やニュースにするかは、編集や編成の問題である。しかし、「ネットは嘘ばかり」的な過去の姿勢を考えなおす機会になるかもしれない。それによって、ドキュメンタリーが放送されるとは思わないが(ちょっと見たいような気がしてます)、ネットの奥深さを再発見すれば一面的で興味本位なネットの報道も、少しは変わる可能性がある。

 それは、自分も含めたネットユーザにも当てはまる。いまやネットは、怖ろしいほど巨大なものになっている。往々にしてユーザは、限られたネットしか知らないままになるケースが多い。オンラインショップやお気に入りのブログや動画や音楽の配信サイト。掲示板だって、すべての書き込みを読んでいるわけではない。ネットが巨大になるにともなって、それが自然だろう。

 しかし、まだアクセスしたこともない掲示板で、「疑問は調べて結論を追究する」をつづけ、多くの方々との情報交換によって客観的な結論へと到達していったのである。知っているようで知らなかったネットについて再認識するために、今回の件を考えるのはムダではないような気がする。

 もちろん、あくまでも「不正の疑い」であって、結論が出たわけではない。できるだけ厳正中立で偏らないように、個人的には意図したつもりではある。しかし、能力不足もあって、それこそ「主観」でしかない。その「主観」を修正してくれるのも、ネットの情報交換だろう。

 たしかに、便利で楽しくオモシロイ機能やコンテンツが多いのがネットである。ただ、それだけではなく、情報交換によって客観的な結論へと到達する機能を、少し見直してもいいのかもしれない。(Nikkei)