2006-09-16 弾道飛行で無重力体験から月旅行まで:私は、宇宙へ行きたい

  「私は必ず宇宙に行く」と十数年言い続けてきた。当初「頭がおかしいんじゃない」と笑われたが、最近は「いつ行くの?」「お金は?」と反応が変わった。民間人が宇宙ステーションに旅立ち、旅行を申し込んだ世界のセレブが話題になる。なぜ人は宇宙を目指すのか。本当に行けるのはいつなのか。(石塚知子)

 日本IBMに勤務する稲波(いなみ)紀明さん(29)は、08年以降、宇宙に飛び立つ予定だ。民間宇宙船として世界で初めて宇宙への飛行に成功した英ヴァージングループのヴァージンギャラクティック社の機体で、宇宙を旅する最初の100人に入っている。旅費の20万ドル(当時約2200万円)は、株投資で得た資金から全額支払った。

 地上100キロを超えた大気圏外に飛び立つ宇宙弾道旅行と呼ばれるツアー。往復2〜3時間のフライトの間に約25分間宇宙空間に滞在し、4〜5分間の無重力状態を体験できる。地球はまんまるには見えないが、緩やかな曲線を描く青い輪郭を、漆黒の宇宙空間から堪能できるという。

 「『地球を外から見てみたい』って気持ちは誰もがもつもの。行くなら早く行きたい。けっこう軽い気持ちで申し込んだんですよ」

 24億円は払えないけど、2000万円ならがんばれば何とかなると、昨年5月、思い切って申し込んだ。最初に飛ぶ日本人2人枠のうち1枠を抽選で獲得し、ブログ「稲波紀明の宇宙旅立ち日記」で日々の気持ちをつづっている。

 「世界中の旅行予定者との交流など、ふつうの20代では考えられない経験をして、人脈も広がっています。ただの観光旅行では得られない付加価値を思えば2000万円はけっして高くない」と稲波さん。

 日本の旅行会社も宇宙旅行販売に乗り出している。旅行会社のクラブツーリズムでは昨年5月から、ヴァージン社の旅行を扱っている。現在は弾道飛行のみの販売だが、200人の日本人から問い合わせがあり、稲波さんを含めて5人が契約した。

 JTBは昨年10月から、米スペースアドベンチャーズ(SA)社のツアーを販売している。SAは民間人初の宇宙旅行者デニス・チトー氏の旅を扱った世界初の宇宙観光旅行会社だ。約1200万円からの弾道飛行のほかに、約24億円の宇宙ステーション滞在旅行、約120億円の月旅行まで扱う。元ライブドアの榎本大輔氏も同社のツアーで宇宙に旅立つはずだった。

 JTBには800件の問い合わせがあった。弾道飛行に9人の日本人が申し込み、全額または頭金を支払った。

 いずれの会社でも問い合わせが多い層は、20代と50〜60代にくっきりわかれる。

 JTBで宇宙旅行プロジェクトを立ち上げた中村豊幸さん(40)はこう話す。「地球上の観光地はすべて行き尽くしたという年配の方が目立ちます。若い人の場合、自分への投資と考えるようです。『マンションの頭金を支払うよりは自分の将来に投資したい』という20代の丸の内のOLさんは印象的でした」

 日本宇宙少年団の情報誌の元編集長だった林公代さんが書いた「宇宙の歩き方」や、SA社社長のエリック・アンダーソン氏著の「宇宙ハンドブック」など、本格的な宇宙旅行ガイドブックも出版され、旅心を刺激している。

 ヴァージンアトランティック航空では航空マイレージの特典に、アメリカン・エキスプレス社はクレジットカードの特典に、宇宙旅行を用意している。景品金額の規制が撤廃された日本企業の懸賞でも、宇宙旅行は今後、賞品の目玉となりそうだ。

■民間の開発に期待

 一般人が自力で目指す宇宙旅行の中で、もっとも実現の可能性が高いのは、弾道飛行だ。米国ではロケットプレーン・キスラー社やXコア社など、民間航空会社が次々と参入に名乗りを上げている。

 弾道飛行が一気に現実化したのは、04年10月に開催された「Xプライズ」という賞金1000万ドルの宇宙レースがきっかけだった。3人乗りの宇宙船を高度100キロまで打ち上げて安全に帰還させ、2週間以内に9割以上再使用した機体で再びフライトを成功させるというレースだ。これにヴァージン社の機体が成功し、大きな弾みとなった。

 弾道飛行で新たに宇宙ビジネスを開拓する動きもある。

 山崎大地(たいち)さん(33)は、民間商業宇宙飛行士「ミッション・コマンダー」の一人として、08年以降にロケットプレーン社の宇宙船に搭乗する。日本人宇宙飛行士の山崎直子さん(35)の夫で、くしくも妻とどちらが先に宇宙に旅立つか争う形になった。

 「宇宙に新製品を持っていったり、商品の実験をしたり。すでに様々な企業から問い合わせがあります。宇宙に行って初めて開ける道がある」と山崎さんは語る。

 幼い頃から宇宙への強いあこがれを持ち続けた。直子さんが選ばれた宇宙飛行士募集の時はまだ学生で資格がなかった。娘の優希ちゃん(4)が16歳になったら、宇宙弾道家族旅行に出かけたいと、旅行代金の1割を頭金に支払った。「妻も一緒に行けたら最高なんですけれど」

 アニリール・セルカンさん(33)は、トルコ人初の宇宙飛行士候補で、2010年以降のNASA有人惑星ミッションの候補でもある。現在は訓練を終え、東大大学院で研究をしている。「旅客機でも、実用化までに15年以上の時間が必要です。弾道飛行に数回成功した機体を、4〜5年で実用化できるのか。慎重にすすめてほしい」と話す。

 一方、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の産学官連携部の石塚淳部長は、民間が宇宙旅行やロケット開発など、有人宇宙技術に参入することを期待している。「民間から声が上がれば、われわれの設備をお貸ししたり、共同研究したりする準備はいくらでもあります」と前向きだ。

 民間開発が進み、再利用可能で安全な機体の定期運航が実現すれば、現在1000万円超の旅行代金が安くなる日も遠くはない。でも私は、冒頭の稲波さんのように誰よりも早く行ってみたい。困った。(asahi.com)