宇宙建築家:宇宙における我々の未来を設計
2000/11/18
Yasha Husain (Space.com)
(翻訳:スペースレフ 村川)

要約
宇宙ステーションなどの大規模宇宙構造物のコンセプト作りに貢献した
宇宙構造物デザイナ、いわゆる”宇宙建築家”の歴史、現状などを具体例を示しながら、将来の有人宇宙開発への宇宙建築家の取り組み方などを提言している。

「宇宙の全ての側面は、人間を殺害するためにいかなる時点でも関係している。」そして、これがMadhu Thangavelu氏が宇宙建築家になる動機付けとなった理由の一つである。

彼とその専門分野の仲間達は、挑戦をこよなく愛している。彼らは、打上げ射場、ロケット、そして宇宙機など人間を宇宙に運ぶものの設計と建設に生きがいを持っている。しかし、これらを安全に行うことは、大変なことである。「だから、建築家はものすごく堅実で注意深いことが重要であり、同時に大胆でなければならない。」とThangavelu氏は説明している。

ヒューストン大学のLarry Bell教授は、国際宇宙ステーション(ISS)の建設に向けたデザイン作業に何年も貢献している。ISSは最近になって元の名前である「スペースステーションアルファ」と呼ばれるようになっている。Bell教授は、宇宙建築家は特別な挑戦を手にしており、他のデザイン分野ではそれが無いと述べている。「地球で建物を設計するとき、建築家はトイレのことを意識するでしょうか? 答えは”ノー”である。宇宙建築家はどのように物事が一緒になるかを見ているし、どのように人間がデザインを気に入るかを見つめている。一般のデザイナーは、問題に巻き込まれることも無く、システムを動かす全ての部分の概念、目的を手にすることは無い。」と述べている。

今は亡きフォン・ブラウン博士は、宇宙建築と宇宙探査の原点ともいえる概念を考え出している。アポロ宇宙飛行士を月に運び、初期スペースステーションのスカイラブ(Skylab)とその搭乗員を軌道に運んだサターンロケットは、フォン・ブラウンの指導のもとで開発製造された。しかし、NASAマーシャル宇宙飛行センターの最初の所長に指名されたフォン・ブラウンは、宇宙建築家としてではなく、ただの技術者として招かれたことは、残念なことであったと、Thangavelu氏は述べている。

ブランウの後に続く多くの宇宙建築家のように、複雑なシステムを立ち上げるために、ブラウン自身も通常のエンジニアが行う方法で数学的問題を分析することから取り掛かった。Thangaveluは、”分析作業から製造作業に”という信じられないような考え方の飛躍をする建築家ということが、宇宙建築家を定義付けするものであると述べている。

内部と外部に向けた設計

文字通り、宇宙に向けた設計では、従来の建築の大部分の要素を頭の中でひっくり返すことになる。Bellは、「無重力を取り扱うとき、全てのことが変わる。それは、全ての設計方法に影響を与える。」と述べている。空間の上下感覚は自由裁量に任されている。地球に住んでいることから得た既成概念を追い払うよう努力しなければならない。

Bellは、彼がデザインをするとき、彼は構造そのものよりも考察に重点をおき、構造体内部に住む人間のことを考えると語る。

彼は、「宇宙飛行士の心理学、生理学、生物学などを検討する必要がある。身体の姿勢の変化を考慮に入れる必要がある。」と語る。そして、例えば、椅子に座ることは、無重力では座るために胃の筋肉を使用する必要があるために快適な姿勢ではないと説明している。

足は通常固定されている。というのも、体全体は安全に保たれる必要があるためにである。そして、藻類や菌類が簡単に生長できるので、宇宙ではそれらを清浄するために何が最も良いかを考えなければならない。」述べている。マンハッタンの典型的な設計事務所が考えるものとは全く異なっている。

「ただきれいなだけの観光バスのようなスペースシャトルを見たくはないし、蹴飛ばされそうでしかも鋭い角のあるスイッチ等の気を付けなければならない。そして、常に重量のことを考慮に入れなければならず、全て可能な限り軽くなければならない。」とBellは述べている。

これらは殆ど不可能な課題のように見える。しかし、歴史を積み、設計経験も増えるにしたがって、”宇宙建築家:space architect”としての仕事は実際により貢献できるようになってきている。

ISSが成功した多くの要因としては、ロシアのMir宇宙ステーションやスカイラブから拝借した多くの要素が存在し、また、スカイラブは多くのアポロの設計要素が生かされて製造された。

Bellは、宇宙建築家は現在シャトルの中でより多くの快適な環境を作り上げることができるし、将来の宇宙旅行で快適性のレベルを高めることもできると語っている。

現役の未来学者

先月の10月31日、3人の宇宙飛行士がISSに打上げられた。彼らは、最初のISSの長期滞在者となり、宇宙空間に人類として永久的な足がかりを築くことになる。しかし、このような状況にいかにして到達したのだろうか。

これには、有名な建築家、インダストリアル・デザイナ、芸術家、そして空想家無しには達成し得なかった。

20世紀の未来学者バックミンスタ・フラー(Buckminster Fuller)は、「宇宙船地球号」という言葉を作った人物である。そして「相乗効果」という言葉を有名にもした。この言葉は、我々の近代的な視点を構築する上で重要な基礎を築き、そして宇宙船や宇宙ステーションの概念構築にも大きな影響を与えた。

スタンリー・キューブリック(映画「2001年宇宙の旅」監督)が大きな映画のスクリーンに表現し始める以前に、芸術家でイラストレータのチェスリ・ボーンステル(Chesley Bonestell)は、宇宙の場面や宇宙飛行ミッションの場面を創作していた。多くの宇宙信奉者は、これらのイメージは、フラサニト・アソシエイツ(Frassanito & Associates)のジョン・フラサニト(John Frassanito)の作品を含む1960年代の宇宙建築のデザインに奥深い影響を与えたと考えている。

フラサニトは、一体型構造よりもモジュール式をISSに採用するようNASAを説得する鍵となる人物の立場にあったため、ISSのデザインは、一体型構造よりも、必要に応じて改良することができるモジュラー型となった。その時代、NASAの契約企業として作業を行う中、フラサニトは、有名な工業デザイナーであるレイモンド・ローイ(Raymond Loewy)とともに行ったスカイラブ(Skylab)のインテリア設計作業の経験を元にて、この提案を行った。ローイは、1940年代にタバコのラッキーストライク(Lucky Strike)の広告のデザインでよく知られている工業デザイナである。また彼は、新らしい再使用型ロケットの試験機であるX-33の開発を支援するなど、高い信頼を得ている。また、月や火星ミッションに向けた宇宙船のコンセプト開発でも支援を行っている。


二人の宇宙建築家、そしてNader Khaliliは、環境保護的な視点という、宇宙設計においてデリケートな道を歩んでいる。両者とも、宇宙ゴミを減らすことに役立つような構造を開発している。

ソレリ(Soleri)は、建築家であり、アリゾナ、フェニックスの郊外に住み、仕事をしている。ここで、1970年代以来アルコサンティ(Arcosanti)と呼ばれる都市型居住施設のプロトタイプを建設している。彼は、アーコロジ(arcology)と呼ばれている概念を基にしてアルコサンティを開発した。アーコロジとは、建築(アーキテクチャ)と生態学(エコロジ)を融合したものである。ソレリは、都市コミュニティを高度に統合され、3次元的に圧縮することを提案している。これは都市のスプロール化と対極にあり、反消費型都市を目指している。彼は、これらの概念を未来の宇宙の文明に応用できるものとして見ている。

ソレリは、未来の宇宙都市は大変コンパクトでミニチュア化されたものになると想像している。この考え方は、胎盤に匹敵するカプセルに人間(生育装置)を入れて、小惑星を最終的には取り込むというものである


Nader Khaliliは、過去25年間を地球建築の成長という分野にかかわっている。彼は、カリフォルニアのヘスペリアで生活し仕事をしている。ここで彼はカルアース地球芸術・建築研究所(Cal-Earth Institute of Earth Art and Architecture:Cal-Earth)を設立した。彼は、建築材料の95パーセントを自然材料で建設するスーパーアドーブ(Superadobe)住宅の発明者でもある。1984年、彼はNASAに対し月面居住施設を建設する一つの方法として、地球から人工建築資材を輸送する変わりに、月面に存在する材料を使用する方法を提案した。既に宇宙に存在する材料を利用して宇宙に建設することは、コスト低減や環境への悪影響低減にも貢献できると考えている。

ソレリと同様、Khaliliは、人間は地球や宇宙でも少ない量でより多くのことを行う方法を学習すべきであると考えている。NASAや他の宇宙関係機関は、彼らの設計手法に興味を示している。もし夢を描ければ、それを実現することができる。有人宇宙ミッションや宇宙の商業化での興味が増加している中、この分野で研究をする優れた学生を受け入れる大学が相次いでいる。

Madhu Thangaveluは、「もし夢を描くことができるならば、それを実現することはできる」をスローガンに、南カリフォルニア大学で彼の宇宙建築クラスの学生の意欲を駆り立てている。

同大学の航空宇宙工学部にある「宇宙探査建築概念総合スタジオ:Space Exploration Architectures Concepts Synthesis Studio」では、宇宙関係の専門家と大学院学生が参加している。一学期では、クラスは火星探査に焦点を当てた。中間試験は、各学生が火星探査の各段階に対するコンセプトを作り上げることであった。期末試験では、各自のコンセプトを持ち寄り、論理的で整合性のあるシステムモデルを構築し、宇宙産業界からの専門家による評価を受けた。

ヒューストン大学では、宇宙建築家のLarry Bellは日本の旧日本船舶振興会から3億円の資金を1987年に手に入れ、ササカワ国際宇宙建築センター(Sasakawa International Center for Space Architecture:SICSA)を設立した。SICSAはヒューストン大学の実験建築大学院プログラムからの資金と教員を基礎にした研究とデザインの組織である。多くの卒業生は、主要な航空宇宙企業及びNASAで高いレベルで挑戦的な仕事に就いている。SICSAのディレクタはLarry Bellで、同組織は、宇宙居住デザイン研究のための実物大模型と、ミッション模擬体験モジュールを大学構内に所有している。そして、NASAジョンソン宇宙センターといくつかのプロジェクトを実施している。

「これはデザイナにとってお菓子屋みたいなものである。とにかく最高である。」と、まるで父親を自慢するようにBellは微笑んでいる。そして、「私はSICSAでは、とにかくすばらしい学生に囲まれ、新しい展望を切り開き、世界を意味のあるものにしようと試みる聡明な人たちに囲まれて、SICSAで教鞭をとることにエキサイトしている。」と付け加えた。

ビゲロー・エアロスペース社(Bigelow Aerospace)からの最近の贈り物(資金)によって、SICSAは人工重力科学探査機(Artificial Gravity Science and Excursion Vehicle:AGSEV)の開発を行っている。この宇宙船は、未来の月や火星旅行に必要な特殊な条件を満たす輸送手段をなるものである。

これら画期的な宇宙プログラムは、宇宙建築家の新しい収穫物となり、より大規模でより複雑な構造物の設計建設に引き継がれていく。彼らはもっとたくさんのことを行い、より深く遠い未来まで行くことになる。そして次世代の宇宙探査の実現に貢献するであろう。

(コメント:訳者は、Larry Bellの下で宇宙建築を2年間研究したが、日本でこの分野での認識が起こらない理由に、宇宙開発を単なる天文研究と技術開発の分野としてしか認識していないことに理由があろう。何のための宇宙開発かを突き詰めていくと、その動機付けとして、人間はどこに向かって、何に向かって生存し続けて生きているのだろうかの自問自答に突き当たるはずである。人間が住む無限の空間として宇宙をとらえると、見方が大きく変わるのではないだろうか。)