日本の宇宙開発の過去と未来
黒田泰弘

黒田泰弘氏は、日本の宇宙開発のすべて見てきた、歴史的に重要な宇宙ロケットの専門家の一人である。航空宇宙技術研究所ロケット部長、宇宙開発事業団システム計画部長等を歴任。現在は、フリーな立場で後輩の指導を行う傍ら、広い視野にたった自らの宇宙開発論を語っている。

本稿は、数年前に行われた雑誌向けの座談会で、毛利宇宙飛行士と対談した内容を元に、黒田氏了解のもとに編集し直したものである。

質問リスト

今後人間と宇宙はどのように関わると思われますか?

2014年、あるいは2030年ごろには有人火星探査計画があるときいています。本当に行けるのでしょうか?

その25年後に月探査を行ったわけですね。

宇宙の大衆化という観点から見ると、観光として宇宙へ行くと神秘体験が出来るということになるのでしょうか?

宇宙飛行士の資質や心構えについていかがでしょうか?

スペースコロニー(宇宙移住)などについて、ご意見をお聞かせください。

臓器移植などの普及によって、人間の寿命、あるいは"生きた"ことの定義付けも変化してくるかもしれませんね。臓器の凍結等は寿命の概念を変化させるかもしれませんね。

宇宙へ進出する意味についお伺いします。米国には、人間の役に立ち、科学的にも意味があるとしていますが。

読者に向けて何かメッセージをお願いします。

質問:今後人間と宇宙はどのように関わると思われますか?(トップに戻る)

いま、私達がジェット機に乗るのと同じように、ロケットやスペースプレーンにのって、ニューヨークやロンドンに宇宙経由で日帰り旅行をする。そして、新婚さんは月にむかって、それこそ本当のハネムーン(蜜月旅行)。21世紀の半ば過ぎには、そんな時代がやってくるかもしれませんよ。

質問:2014年、あるいは2030年ごろには有人火星探査計画があるときいています。本当に行けるのでしょうか? (トップに戻る)

 行けるだろうと思いますね、条件が整えば。ただし、2014年は無理だと思いますが。
 アメリカは、いまから25年前の1969年に、アポロ計画によって人間を月に送り、無事、地球に帰還させるという大事業に成功しました。人間の火星飛行も、技術的には月飛行の延長線上にあると考えられるので、非常に困難ではありますが、やればできると思います。しかし、火星飛行ともなれば、月飛行とはけたちがいの費用もかかるでしょうから、ひとつの国だけの力でやりとげるのは無理で、たくさんの国が互いに協力する必要があると思います。

 アメリカのアポロ計画における最高の技術リーダーは、第二次世界大戦の終了後にドイツからアメリカに送られてきたフォン・ブラウンさんですが、私はその人の「人間月旅行」というスピーチを1952年の夏、シカゴで聞いたんです。1952年といえば、世界最初の人工衛星、ソビエトのスプートニク1号が飛んだ1957年よりも五年も前のことだったんですが、フォン・ブラウンさんはそのとき、「昔、コロンブスはスペインの女王から資金を与えられて新大陸を発見した。いま、アメリカ政府がお金を出してくれれば、私は25年後には人間月旅行を実現してみせる自信がある。」と豪語されたのです。それをきいた多くの人は「フォン・ブラウンさんがそういわれるのであれば、実現するんじゃないか。」と、さかんに拍手を送りました。私もそう思いましたね。ところがそのとき、ひとりの軍人がさっと手をあげて立ち上がり、「とんでもない夢物語だ。そんなお金があれば一機でも多くの爆撃機を造って国防に備えるべきだ。」といったのです。この発言に対して、前よりももっと盛んな拍手がわきおこりました。当時のアメリカ人の宇宙開発に対する認識はそれぐらいだったと思います。

質問:その25年後に月探査を行ったわけですね。 (トップに戻る)

その通りです。ただ、フォン・ブラウンさんがお話しされたやり方とは、かなり違うやり方でしたがね。とにかく、そのときから数えて25年よりもっとはやい、17年めの1969年7月に、人間が初めて月面に立つという大偉業をなしとげたのです。
 さきにもいいましたように、フォン・ブラウンさんのスピーチの5年後にソビエトのス プートニク1号が飛んだのですが、そのことによってアメリカは大変なショックを受けて、「なにがなんでもソ連に追いつき、追い越せ。断じて負けてはならない。」と立ち上がりました。そんなときに、ケネディ大統領があらわれて、アポロ計画のゴーサインを出したのです。そして、国をあげてのものすごい努力が始まったのです。フォン・ブラウンさんがお話しされたことは結果的には実現したんですが、それはたまたま、彼のような人が自分の考えを公表され、ケネディのような政治家があらわれて、一気に宇宙開発の気運が高められた結果だと思います。

 しかし、成功した後の反動もまた、大変でしたね。納税者たちのあいだにて のひらを返したような政府非難の声がおこりました。「たった二人の人間を月に送るだけ のことに、あんな大金をかけて、まったく税金のムダづかいではないか。」そんなことも あってアポロ計画は、はじめの予定ではアポロ20号までのスーケジュールが組まれていたのですが、17号で打ち切りになってしまいました。


質問:宇宙の大衆化という観点から見ると、観光として宇宙へ行くと神秘体験が出来るということになるのでしょうか? (トップに戻る)

 宇宙開発のはじめのころ、人問がでかける必要があるのかないのか、そんな議論がずいぶんありましたね。そして、いまもあります。たしかに、現在、地球の周りを回っている人工衛星……通信衛星にしても、気象衛星にしても、みんな無人で働いていますね。人間よりも、ロボットを使ったほうがいい場合もずいぷんあります。ロボットは疲れも知らないし、危険もいとわずに、忠実に、正確に、命令のとおりに仕事をつづけます。

 しかし、それでは人間が不必要かというと、そんなことはありません。
毛利さんがスペースシャトルで宇宙にいかれたとき、水もれの事故がありました。ロボットだけだったとしたら、水もれのために多くの実験が中止になっていたと思います。でも、毛利さんやほかのクルーが判断し、地上と連絡をとりながら修理したことによって、すべての実験をおこなうことができました。このように、重要な判断が必要とされる場合は、やはり人間がいなければ、と思います。
 まあ、そんなに難しく考えなくても、宇宙の日の出や日没を眺めてすばらしいと感じたり、宇宙でライスカレーを食べて、これはうまいと舌つづみを打つなどということは、人間なればこその話ですからね。ロボットにライスカレーを食べさせて、「ああ、おいしかった。おかわりもう一皿。」などといわせてみても、つまらないですからね。そんなことから、私は宇宙レジャーや宇宙観光は、将来の宇宙産業のうちの大きな目玉商品の一つであると思っています。


質問:宇宙飛行士の資質や心構えについていかがでしょうか? (トップの戻る)

 私には、無人ロケットを打ち上げた経験しかありませんが、有人と無人では打ち上げ時の緊張感に天と地ほどの違いがあることは、容易に想像できますね。
 その無人の場合でも、自分のやれるだけのことはすべてみんなやった、あとは天の神さまにお祈りするだけという気持ちになり、お神酒をささげて手をあわせ、ペイロード(搭載機器)の壁に、こっそりと小さなお守り札の切れ端をはりつけたりしたこともあります。アメリカの友人たちも十字をきって、チャーム一キリスト教のお守りの切れ端を貼り付けたりしていますね。でも、こうした気持ちも、まったくの神だのみというわけではなくて、まず準備に最善をつくす。"人事をつくして天命を待つ"ですかね。

 安全性の話で思いだされるのは、チャレンジャーの爆発事故で殉職を去ったオニヅカさんのことなんですが、あの事故の1ヶ月前にオニヅカさんとお会いしたことがありました。そのとき、私はオニヅカさんに「もしも飛行中に事故にあわれたときはどうされますか。」とたずねたんです。いま考えれば、まったく縁起でもない失礼な質問をして、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、オニヅカさんはなんのためらいもなく、「そんなときはなによりもシャトルオービターを守ることに全力を尽くします。」とおっしゃられたのです。私はそのとき、れっきとしたアメリカ人であるオニヅカさんなら「なにものにもまさって、人の命は大切であるから……。」というようなことを答えられるのではないかあるいは、あわよくはその答に引き続いて、スペースシャトルの緊急脱出装置やその操作方湊についての話がきけるのでは、と期待していたのですが、それとは全く異なる、まるで日本の古武士のような答えがかえってきたことに驚くとともに、深く感動したことをおぽえています。
 こんなことを聞いたのは、スペースシャトルでもっとも危険なのは打ち上げのとき、固 体補助ロケットが点火されてからそれが燃えつきるまでの約二分間と、着陸のとき機体か ら引きだされた脚が、確実に着地して、地上滑走にうつるまでの10数秒間ではないか、 と考えていたからなんです。もちろん、スペースシャトルには三重、四重の安全対策が工夫されていますが、オニヅカさんの場合は、不幸にして固体ロケットの心配が的中してしまったことになりました。
 技術的には着陸操作のほうがずっと難しいのですが、さすがにシャトルのパイロットのみなさんは技量抜群で、いままで無事故を続けていらっしゃる。テレビで見た、毛利さんのときのギブソン船長のみごとな着陸は、まるで神わざのように思われました。


質問:スペースコロニー(宇宙移住)などについて、ご意見をお聞かせください。
                                            
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 私は前から、スペースコロニーというのはとても実現できないと思っているんです。まあ、月や火星の表面に造るような小規模の基地なら可能だろうと思うんですが、人工の天体を造って、何百万、何千万という人類が移住するような規模の大きなものになると、とても無理だと思うんです。

技術的には、お金さえ投じれば実現できないものをさがすほうが難しいです。たいていのことはできるだろうと思います。たとえば、宇宙での生活に必要な水を作るとか、電気を作るとか-…なんでもできると思います。でも、科学的に作られた純水では、人間は長くは生きていけないと思うんです。自然の水は、目に見えないいろんなものがまじっていますね。それがあるから、おいしかったり体によかったりするわけです。そういう付加物が必要になるのですが、それを作るのは技術的にむずかしいのでは、と考えるんです。

そのことが一つと、もう一つは、科学の限界ということ。
私は、少人数でそれほど長期間でなければ、科学的な純水だけで生活することだってできるだろうと思うんです。したがって、小型のスペースコロニーならばできないこともない。月面や火星の表面の基地なら、かなりの規模のものを建設できるでしょう。しかし、何百万、何千万の人が住むコロニーとなると、それはできない。それならば何人までならできて、何人以上ならばダメという境目はあるのか、ないのか。そんな疑問を感じます。
 
ここでちょっと話がかわりますが、この問題は人間の寿命にたとえられるんじゃないかと思うのです。いま、日本には百歳のお年寄りはかなりいらっしゃる。中国には、百五十歳の人がいるとのことです。でも、二百歳の人は世界のどこにもいません。すると、どこかに寿命の限界点というのがあるのではをいか。あるとすれば、それは何歳であるか、という疑問です。

質問:臓器移植などの普及によって、人間の寿命、あるいは"生きた"ことの定義付けも変化してくるかもしれませんね。臓器の凍結等は寿命の概念を変化させるかもしれませんね。 (トップに戻る)

 いまおっしゃったことは、SF小説などではこれまでにもテーマになってきたことですね。たとえば、銀河系宇宙探検船の出発に際して、船長さんが号令をかける。「これから400年間、冷凍庫に入って冬眠する。みんな、タイマ-を四百年後にセットするんだ。」といったあんばいです。じつは、私は本当にそんなことになるかもしれない、なればなったでけっこうおもしろいんではないかと思っているんですが、少なくとも、私はそんなにまでして生きたくないという思いのほうが強いですね。
 それから、臓器移植などによる人間の作りかえの話……これは、機械に対してはわた し自身がやった経験をもっています。昭和25年の夏、朝鮮戦争が始まったとき、私は立川のアメリカ空軍の基地に勤めていました。そこで、基地内に放置されているポンコツ飛行機から、修理すれば使えそうな部品をひろい集めて一飛行機を仕立て上げたことがあります。いまでも、自動車の修理などではよく行われていることです。
 ただ、人間となると、たくさんの人から器官を集めて、ひとりの人を生きさせるという ことは、とてもできないと思います。倫理的にできないと思います。しかし、世の中がか わり、人間に対する考え方もあらたまってくると「それもいいじゃないか。」ということ になるかもしれません。私自身はそんなことになってほしくないという思いのほうが 強いですが…いまこわい話とおっしゃいましたけど……神さまはおゆるしにならないん じゃないかと思うんです。むずかしいことばでいえば"神の摂理〃に反する、ことになる のではないかと思います。ただし、部分的な臓器移植はやがて認められるようになるだろうと思います。

質問:宇宙へ進出する意味についお伺いします。米国には、人間の役に立ち、科学的にも意味があるとしていますが。 (トップに戻る)

今は、確かにそうですね。しかし、ほんのしばらく前までは違っていました。いままではアメリカとソ連との宇宙開発競争がありましたでしょう。旧ソ連がやっている限りは、アメリカも頑張らなければならない、アメリカがやるからにはソ連も頑張るという理屈でした。国家の威信を示すために宇宙にいくのであり、国家の安全を守るために軍事衛星を打ち上げる、そんな理由です。事実、世界中で打ち上げられる人工衛星の約八十パーセントがアメリカとソ連の軍事衛星だったこともあります。でも、いまは、ソ連がなくなり、以前のような競争もなくなってしまった。それで、科学研究や平和目的の実利用をめざすことが、最重要の意義であると考えられていますね。私はすこしへソ曲がりかもしれませんが、このような目的もそのうちまた変わるだろうと見ています。しかし、わが日本だけはほかの国がどうであろうと、絶対の平和利用目的に徹底した宇宙開発をすすめるのでなければいけないと思います。

質問:読者に向けて何かメッセージをお願いします。 (トップに戻る)

 私は月並みですが、学校であれば"よく学びよく遊べ"。これにつきるような気がします。それから、ことわざで「好きこそものの上手なれ」ってことばがありますが、自分がやっていること、好きにならないと楽しくないですよね。好きになれば、ますますよくなっていきますし。だから、好きなことに夢中になって取組んでもらいたいです。もちろん、"宇宙にも夢中〃であれば、なおさら楽しいと思いますね。私も子どものころは、そんな少年でした。、
 最後にいま一度、私の尊敬するフォン・ブラウンさんの言葉を伝えたいと思います。1966(昭和41)年の7月、米国アラバマ州ハンツビルのマーシャル宇宙センターの所長室でお目にかかったときです。所長さんとして、アポロ計画に超多忙な様子でしたが、こんなことをおっしゃいました。「宇宙開発には多額のお金がかかりすぎる、という人がいるが、私はそうは思いません。なぜなら、同じだけのお金を投じても、宇宙開発ほどに青少年に夢と希望を与え、情熱を燃えたたせるものは、他にないからです。」