コラム:
火星探査と有人開発
「火星に日本人一番乗りを!」
河島 信樹  近畿大学理工学部教授

    
                 厳しい宇宙開発をとりまく環境


 久しぶりに世界的に宇宙開発のフィーバーを起こした火星探査機バスファィンダ、エアバッグを着陸に用いるという斬新な技術を使う試みを成功させ、・宇宙開発に新しい道を開いた功績は大きい。また、7月4日のアメリカの独立記念日に正確に着陸させるというアポロ計画もできなかったお膳立ても見事で、アメリカの底力を見せつけられた思いがする。

 しかし、二週間もすると、もう殆ど忘れられた存在になってしまった。私が小池淳平氏(東工大)と一緒に書いた「火星探検」.(PHP研究所)も出版が七月四日に間に合わなかったので、書店での反応は鈍かった。人々が巨額の経費を用いて行う宇宙開発に対して、常にいかに厳しい目でみているかを実感されられた。

 宇宙開発は1957年のスプートニクに始まって1969年のアポロ計画での人類初の月面着陸で頂点を極めた。独立記念日こそ逃したが、一九六九年七月二〇日、故ケネディ大統領が約束した一九六〇年代に半年近くを残した見事なものであった。宇宙開発は、このあとスカイラブやバイキング、ボイジャーなど多くのすばらしい仕事をしてきたし、実用面では、通信、放送、気象、測地一GPS)衛星などの分野で大きく発展し、いま人々は、通信や放送の電波が宇宙を経由してきていることを意識しないくらい役立っている。

 しかし、宇宙開発全体をみると、決しでそのような甘い環境にはない。それの引き金になったのは、二つの大きな出来事であった。

 一つは一九八六年のスペースシャトルチャレンジャーの事故であり、もう一つはベルリンの壁の崩壊に始まるソ連邦の崩壊という大変革にともなう東西緊張の消滅であった。前者は、もうすぐ次は火星に人が行けると錯覚した期待を根底から打ち砕いてしまった。当時の数字で三〇人に一人は犠牲になるような交通手段は、とても安全とはいえず、宇宙へ行くのは大変な覚悟をしていく冒険であることを教えてくれた。

また、ソ連の崩壊は、それよりももっと深刻な影響を宇宙開発に与えた。それまで、宇宙開発が実質的にもシンボルとしても、東西の緊張に支えられてきた。それが、ソ連の崩壊によってそのハシゴを外されてみると、一体宇宙開発は何のためにという原点に立ち返った疑問を投げかけられた。これを宇宙開発「冬の時代」とある国際会議で表現したら、NASAの関係者から、いやもう冬の時代を超して「氷河時代」だよといわれたが、実際にNASAの大型計画は軒並み足踏みさせられた。宇宙ステーションがよい例であるが、すでに何千億円も投資した段階でも毎年存亡の危機にさらされた。それでも宇宙ステーションは、ロシアの科学技術支援という全く異質の大義名分を得て生き残ったが、そのために多くの科学ミッションが割に喰った。当面NASAは、小型探査機を中心に進めるとしてきたが、あくまで当座のことで、長期的には大きな目標が必要であった。

            火星に生命本当の狙いは有人探検 

 そこで登場したのが、「火星に生命」の大命題であった。
 一九九六年八月にNASAが南極で見つかった火星隕石のなかに生命の痕跡と思われるものがあるとして発表して以来、大きな反響を巻き起こした。ただ、あの事実だけで「火星に生命」が現実化したわけではない。本当に必要であったのは、宇宙開発をこのままシュリンクさせないために、大きなインパクトのある目標が必要であった。確かに「火星に生命」が本当に見いだされれば、大変大きな成果である。しかし、NASAは過去に一度この目標を切り捨てている。一九七五年に大がかりな探査機ハイキングで火星に生命を目指した実験を行った。この実験そのものは内容は別としてもその複雑さとそれを全て予定通り成し遂げたという意味では、今でも評価できる。しかし、結果が生命の存在に対してポジティブではなかったということで、生命探査全体を店じまいしてしまった。

 今あらためて宇宙開発の活性化のために「火星に生命」を持ち出しても、二〇年間の空白は大きい。お茶の間を賑わせたパスファインダーにしてもそれに続いたマースグローパルサーベイヤにしても、もともと生命探査を意識しないで立てられた計画であったので、すぐに直接生命につながる成果が得られる可能性は殆ど期待できない。あくまでこれからの計画に依存している。

 こうして、二〇〇五年に資料を持ち帰るサンプルリターン計画までのシナリオは作られた。サンプルを持ち帰り地上で詳しく調べて生命を見出そうというものである。ところが、その探査の中身をよく見る限り、生命に対して本当に大きな寄与ができるのだろうかと疑問を持たざるを得ない。探査機の搭載機器で本当に生命を見出しうるものがすぐには見えない。また、二〇〇五年のサンプルリターンにしても、生命の痕跡でも見いだせるとしたら地下を探査しなければ殆ど可能性が薄いのに、深く掘削してサンブルをもってくるようになっていない。NASAが、大上段に生命探査といった割には、なんとも底の浅い計画である。

 その原因を考えてみると、第一に二〇年間店じまいしていた生命探査を急に持ち出しても準備は殆どできていないし、生命探査を目的にして研究してきた研究者も殆どいない。このことから推察すると、あくまで、NASAにとって「火星に生命」というのはつなぎであり、本命がある。それこそ、火星有人探検であるといえる一、ただ今火星有人といってもアメリカの国民の総意を得ることは難しい。何とか火星生命で時間を稼いで有人火星探査へつなげたい。これがNASAの本当の意図であると読める。火星生命の本格的な探査も実は、有人ではじめてできる。

                  一番乗りこそ価値がある

 火星に一番乗りをする、これは宇宙開発の究極の目標である。月への一番乗りが、米国の国威をかけて行われた。当時の米ソの緊張がそれを可能にした。今その緊張はないが、それでも一番乗りの重要性は変わらない。その証拠に月にアポロ計画で実現して以降、二番煎じに敢えて巨額の投資をしようという国はない。東西の緊張もなくなったのだから、国際協力でやるべきという議論もある。しかし、このような長期間かけてやる大きなプロジェクトを複数の国でやることは、まず第一に技術的に難しい。大きなプロジェクトを同じペースで進めることが難しいのである。さらに、一番乗りが重要という場合、利害がなかなか一致しない。やはり、一国で、一番乗りというものがもっとも国民の支持を得やすい。

              二十一世紀に目標を失った我が国

 一方、我が国の現状は、経済的に世界一をいろいろの分野で達成した我が国として、これからの国の進み方に対してある意味で国民が無力感に包まれていることは否めない。バブルの後遺症に苦しんでいるだけではない。空洞化現象など頂点を極めたものがもつ根本的な問題が多く抱えている。周辺のアジアの国々の追い上げも厳しい。天然資源のない我が国がこれからいかに生きてゆくべきか大きな課題である。

 ただ、このような日本の将来に対して危機感を持っている人たちは少ない。若い人たちもぬるま湯につかっていることに満足している。受験社会の弊害として、大学に入り大きな企業に就職することが人生の最終目標と考える風潮が支配している。しかし、このままでは二〇年三〇年先の日本が危ない。現在、株が大幅に下落し、大型金融機関の倒産が相次いで経済が停滞しているが、これは一時的な現象と片づけてはいけない。将来の危機を暗示しているのである。

 いま、二十一世紀に向かって我が国は、本当の目標を探しかねている。現状維持すればよいという考え方は根本的な間違いでそう発想することは下り坂への出発点である。そうならないためには、常に発展していか.なければならない。真に世界をリードする国になる、これが二十一世紀の我が国の目標でなければならない。たしかに、多くの経済分野、0DAなどで世界一ではある。しかし、世界で日本が世界一であるとは、認知されていない。多くの国の人が、これらの事実を知らない。

          独自の科学技術こそ二十一世紀の生きる道を開く

  資源のない我が国が真の世界をリードする国になる鍵は、独自の強い科学技術力である。日本のこれまでの発展も科学技術が支えてきた。しかし、それは、我が国独自のものではない。欧米で発明されたものを改良し、低廉化して市場を支配してきた。これから必要なのは本当に日本独自の科学技術を生み出して世界をリードすることである。その象徴として、日本人を火星に世界に先駆けて一番乗りさせるという目標が、大きな意味をもつ。二十一世紀はじめの国家的な大きな目標として、かかげようというのが私の主張である。第二次大戦に敗れて、日本人は日本人としての誇りを失っている。戦時中の軍主導の全体主義の反動として、日本人としての国民意識をもつことが「悪」であるという風潮が特に文化人の間に強かった。しかし、世界の他の国は違う。どこの国へ行っても自分の国には強い誇りをもっている。日本人だけである、自分の国としての意識を失ったのは。戦後半世紀を過ぎた。いつまでも過去にとらわれていけない。過去の過ちを率直に認め、それを将来に生かしてはじめて国の将来がある。世代も代わった。今の若い人たちには、戦後の文化人のなかにあったこの種の議論に対するアレルギーはない。むしろ、外国へいくことが当たり前になって世界を知り、自分の国に誇りをもつことの重要性を肌で感じるようになってきている。

  長野オリンピックは、久しぶりに世界一の素晴しさを教えてくれた。それと同時に日本人がいかに世界一に渇望していたかを知らされた。選手個人のドラマだけではない。世界一の金メダルに四〇%の人がテレビの前で涙を流して喜んだのは。戦前の全体主義の一番の問題点は、他の国を侵略し、領土を拡げ、政治的経済的に支配しようとしたところにある。火星に日本人を一番乗りさせるには、他の国に迷惑をかけない。やろうと思えば、日本だけで閉じてできるところがよい。

              欲しい政治家の強いリーダーシップ

  これまで、日本の宇宙開発には、政治家が殆ど無関心であったといってよい。それは宇宙は選挙で票にならないからである。理由は第一に日本の宇宙開発の規模が小さかったからである。いまでも全体で年間三〇〇〇億円程度で、大きな産業といえる規模ではない。この規模では、族議員などできない。

  また、日本のこれまでの大きなミッションが、殆どNASAの二番煎じ的で魅力に乏しかった。故ケネディ大統領が、一九六〇年代に月に人を送ってみせるといった国民を大きく惹きつけたような魅力に欠けていた。これでは選挙で人にアピールすることはできない。
火星日本人一番乗りは、そのような意味でも大いに魅力的である。是非取り上げてくれる政治家が出て欲しいものである。

火星日本人一番乗りの一番大きな役割は、二十一世紀に向けて大きな夢をもつ若者を育てるのである。いい大学に入って大手の会社に就職することを人生の最終目標である、などと考える若者は、国を破滅させる。自分が世界で初めて火星に行ってみせる位に元気な若者が二十一世紀の日本の発展を支えるのである。